なんとなく感じる、も信じる

年末年始、何となく落ち着かない感じ、モヤモヤして気を付けないとという感覚
があった。
地球というか、大きな範囲のそんな空気感があったのだ。
そして気を付けて観察したり、やっぱりこうしようと選んだりして
結果良かった、ということが続く。

それを言語化できるツールも学びたいな。

とむくっと知的好奇心が動く。
空気を、時代を捉えて、その上で一人ひとりどう生きるのか、算命学を使いたい。
今の時代を読み算命学に重ねるということは結構重要である。
それは、今を生きる天才が生み出した学問ではないから。

年末に買ったカップウォーマー。おすすめしてもらって本当に良かった。

PCの前にばかりいない時間を意識的に作って、ゆっくり静かに休んでみる。
そうするとあることに気づかされる。
普段は一人ひとりの命式に向き合うことが多く、主格の目線に立つことがほとんどだけれど、
実は意外と人は時代の空気感やスピード感の影響を受けている。
外から与えられて自分に留まっていくようなそんな感じ。
与格の感覚。

それにいかにして乗るか、なのだ。

一人で何もしなければ、もしかしたらそんな影響は受けないのかもしれない。
だからこその人と人との化学反応。

算命学ではよく宿命天中殺の人は孤独に強くなければ、孤独に挑まなければ、という話があるけれど、
それとは別に人とどのような関係性で、共に歩いていくか、はそもそも重要なことなのだと思っている。
(要は振り回されずに、自分で決めて選んで歩けることができれば良いというだけのこと)

今の時代一人で居ることはリスクにしかならない。
遅れるから。それは確実だ。

鎧を着て、裸の王様のように生きることだけは避けよう。
身を守っているようで、取り残されるような一番のきっかけだと思う。

それでは私は自分を生きることもできないし、誰かに手を差し伸べることも、できなくなる。
それを強く言い聞かせている昨今なのである。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

了祜

コメント

コメントする

目次
閉じる