自分の身を開く

先日、次々に尊敬していた巨匠の方々がお亡くなりになりました。
改めて本を出して読んでみたり、
SNSに流れてくる動画を眺めながら改めてどのような人物であったのか、
どんなお考えの方であったのかを改めて知りたいと思いました。

詳しくは冴夜先生との往復書簡にしたためています。
是非ご覧ください★
https://note.com/vast_phlox506/n/n7288d474944a?sub_rt=share_pw
https://note.com/vast_phlox506/n/n7cc61fc99242?sub_rt=share_pw

冴夜先生とのやりとりを考えて、ふと気になりました。
同じ出来事や情報があっても一緒にここまで考えられる場合と、出来事や情報の共有で終わってしまう場合とがあります。
その違いは何なんだろうか。

そこで気づいたのが「自分の身を開いていきていく」です。
大好きな作家さん・先生である方がおっしゃっていたことを思い出しました。

物事に対して、自分を開いて向き合わないと情報をただそのまま取り込む作業になります。
それだけの学びになります。
例えばテスト前に1192作ろう鎌倉幕府とひたすら頭に入れる勉強と同じ情報とのかかわり方ということ。
そうすると、知ったことをそのままで使うしかない。

一方どのような流れで、作戦で成し得たことだったのか、
どんな夢と理想を追ったのか、それに対して自分はどう思うのかまで知っていくとどうでしょうか。
自分の人生にぐっと活かしやすい学びになりますよね。
でも、その為には自分の身を開いて情報に接していくということが必要だよね。という話なのです。

自分の身を開くということはときにリスクがあります。
無防備になりますし、自分と向き合いながら生きていくことになりますから、とても傷つきやすい状況です。
ただ、人って常に傷つく可能性の中で生きているわけですから、
私は基本的にはそれでも自分の身を開きながら話を聞き、考えていくと決めています。
自分の感情も剥き身の状態で物事に関わっていく。
それが、自分の薪を燃やして生きていくことにつながるからです😊

これは夫の身の開き方。
付箋の数に表れていますw

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了祜

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